地元の田植えを撮影してきたのでレポートします

旅行記

季節は5月上旬。山形の実家からの電話、農業を営む親戚の家へ田植えの手伝いに行くとのこと。写真を撮ることを通して地元のことを再発見していきたいという思いがありましたので、今回初めて田植え作業に参加させてもらうことにしました。

親戚宅に到着したのは10時ごろ。もうすでに田植え作業が始まっておりました。苗がムラなく植えられるように土の表面が平らにならされており、光を浴びてきらきらと輝いております。稲作で活躍する農業機械には、土を耕すトラクタ、苗を植え付ける田植え機、育った稲を刈り取るコンバインがあります。田植え機の軌跡に沿って苗の列が引かれていく様は非常に撮影しがいがありますね。

苗をどのくらいの間隔で植えるかによってお米のできを調整することができるそうです。田植え機のランクによって一度に積み込める苗の量、その間隔の調整の幅が違ってきます。最近の田植え機はよりまばらに苗を植え付ける疎植栽培に対応するように進化しています。疎植栽培の大きなメリットはお米の質と収穫量を上げることにあるようで、日光の当たり具合や風通しが良くなりしっかり根の張ることで、倒れにくく害虫にも強い稲に育ちます。

田植え機の後ろにあるのが苗をセットする苗タンク。この可愛らしい苗たちが厳しい夏を乗り越えてどんな逞しい稲に育つのか楽しみです。

稲作はとても寡黙な作業ですが、意外と役割分担が大事でもあるのだなと思いました。田植え機の運転手以外は、道に待機させた育苗箱いくびょうばこを苗タンクにセットするため運転手に手渡す人、凸凹して田植え機が進みにくい場所をくわでならす人、田んぼの角っこなど機械では空いてしまうところに苗を手植えする人など。

農家にとって農業機械はまさに相棒そのもの。こちらの田植え機もだいぶベテランで、たまに機嫌を損ねることがあるそうです。

軽トラも稲作の大事な担い手。田植えの進行に合わせて育苗箱を積んでハウスと田んぼを往復します。手回しのウィンドウがとても新鮮で、小さい頃乗っけてもらった時は何度も開け閉めして遊んでいた記憶があります。


水をたっぷり張った田んぼ。稲穂が風を受けてさらさらと鳴くのも心地いいですが、風でゆらめいた水面がきらきらと光っている様子もたいへんな癒し効果があります。

そもそも田んぼにはなぜ水が張っているのでしょう。その理由として最も大きいのが連作障害を回避するためなのだそうです。通常の畑では、毎年同じ作物を植え続けると土地の養分バランスが崩れ、作物の生長が衰えてしまいます。田んぼで稲を連作できるのは、河川や用水から流れ込む水に含まれる養分がそのバランスを補ってくれるからです。

また田んぼのすごいところはそれだけでなく、気温変化によるダメージから稲を守る役割も担っています。冷夏には水を深くして茎を保温し、逆に猛暑のときは水をかけ流して根の活力を保ちます

写真を撮っているときはどのように風景を切り取ろうかということしか頭にありませんでした。しかし田んぼに関するそのような訳を知ることでまた見え方も変わってくるなあと思います。美しい風景の背景には計算された合理性があるのかもしれません。


美味しいお米が作られる大自然。後ろに顔を覗かせている残雪のある山が蔵王山。

田んぼには餌場や住処を求めてたくさんの生き物が集まります。餌を求めて飛んできたあの鳥はアオサギでしょうか。

アマガエルは田植えの季節になると冬眠から覚めて田んぼにやってきます。田んぼは平地における貴重な水辺のある環境でもあります。彼らは稲にとっての害虫であるガガンボやアブラムシを餌としています。アマガエルと田んぼは数少ない産卵場所を提供し、稲を荒らす虫たちを駆除するという持ちつ持たれつの関係にあります

見ていただいた通り、日が高い時間帯は田んぼに整列していく苗の緑や、プールされた水面のきらめきが印象的でした。日が傾き始めると田んぼの景色は一変していきます。物のみずみずしさの表現としてシズル感という言葉が昔から使われていますが、夕日を浴びた田んぼの質感ほどそれに相応しいものはないかもしれません。

田植えの仕上げ作業。田植え機が引き上げた後、うまく植え付けられなかったところに手植えしていきます。田植え機も日々進化しても機械だけで全部の作業をこなせるわけではないのですね。

里山が田んぼの景色に陰影を落とします。山の近くで過ごすと、普段の生活とは比べ物にならないほど時の流れを実感します。


まもなく山陰に太陽が隠れてしまいそうになる頃、最後の区画の作業が終わり後片付けに入りました。今回植え付けた苗も10月上旬までの収穫期にはたわわに実っていることでしょう。

地元にいた頃には身近にあった稲作の作業を始めてまじかで見ることができ、農業という仕事の奥深さに少しだけ触れることができたなと思います。陽が上るとともに仕事に取り掛かり、陽が沈むとともに仕事を終える。本来人の生活ってみなこんなだったのかなと。
また作物や土壌を日々メンテナンスしていく気長な仕事であると同時に、今回の田植えのようにたった一日にその年の命運がかかってしまう瞬間的なものでもある。そんな農業の面白さを垣間見た気がしました。

また帰省する機会があれば稲の生長の様子など投稿できたらと思います。

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