今回の記事では京都旅行の際に出会った器を紹介したと思います。これらを制作、販売している信楽焼のお店「小陶苑」の紹介は以前別の記事で書かせていただきました。お店の雰囲気もとても素敵なのでぜひ覗いてみてください。
はじめにお断りすると、私は普段のお買い物で焼き物を見るのが好きなだけの素人です。小陶苑をはじめ最近焼き物の産地を訪れる機会があり、焼きものについて書籍などで勉強し始めたところです。釉薬の種類や焼きあがるまでの過程など、少しながらも知識があると日常で接してる物の見え方も変わるのだなと実感しております。この記事を読んでいただいた皆さんにもその楽しさを伝わればなと思います。
ということで以下焼き物に関する用語がいくつか出てきますが、もしかしたら検討はずれなことを言っているかもしれません。素人が見てもなかなか正解がわからない、それもまた物に対してあれこれ想像をめぐらせる楽しみなのだと思っていただければ幸いです。皆さんが焼き物を購入する際はぜひお店の方に、特に職人さんがお店に立たれている時はそれがどうやって作られたものか聞いてみるのもいいかもしれません。
一点物の存在感溢れるマグカップ
まずこちらのマグカップをご紹介します。オフホワイトの地に南の海のような爽やかな青。マグカップは他の器と違って料理によって使い分ける場面が少ないため、なるべく買い控えるようにしておりました。ただこちらのカップには一目惚れです。同じ型の商品でも釉薬のかかり具合も一点一点違うため、悩みに悩んで自分だけのカップを選び出しました。
温かみのある白は粉引という技法によるものです。この技法は、器の素地の上に白い化粧土をかけて白く覆ったり、部分的に装飾を施したりします。粉引はその濃淡で表情のバリエーションが楽しめるのが一番の魅力です。こちらのカップにもその特徴は分かりやすく表現されています。底面の化粧土が剥がれて素地が剥き出しになっているところなど、人が手をかけて一つひとつ作り上げたものなのだなと一目で伝わってきます。さらにしのぎといって、ヘラなどで器の表面を削ってできる稜線文様が見られます。ややもするとのっぺりとした印象になってしまう白い器を、しのぎ加工の凹凸から見える赤黒い素地の存在感で引き締めています。
そしてこの器を一点ものたらしめているのがランダムに飛び散っている青です。大仰な言い方かもしれませんが、音楽に例えるとまさにウワモノの部分で、どっしりとしたベースラインの上を自由に駆け回っているかのようです。このようなきれいな発色の器を見かけると、そういう色の釉薬をかけているのだなと思っておりました。しかしそうではなく、この色味は自然釉というものの一種で、窯の中で焼き上げる過程において器の素地と燃料である薪の成分が出会うことで自然と生まれる現象のようです。
自然釉とは、窯の中で器に降りかかる薪の灰と器の素材である粘土が結びついて釉薬化したものです。多くの場合釉薬は、人工的に調合された成分を人の手によって焼き上げる前の器に施します。つまり自然釉とはその技術の発端とも言えるもので、大昔からの職人さんがこの自然現象の研究を重ね現在の多様な表現があると言えるでしょう。
自然釉の中でも、灰や粘土に含まれる鉄分が一定の温度や空気の条件により青緑色に発色されたものをビードロ釉と言います。このカップの特徴的な青はそれによるものです。素地の土の荒々しい風合いとビードロのポップな色味、このコントラストが信楽焼の魅力だと思います。信楽焼は主に滋賀県甲賀市で作られる陶磁器ですが、県境を挟んだお隣、伊賀市の伊賀焼などでもビードロの器はよく見られるそうです。
把手の部分など、器の形状の影響を受けてビードロ釉が現れています。特に見込み(器の内側部分、または底の部分)は底に溜まった釉薬の表情が見られたりと器の個性がよく出る部分です。水が上から下に流れ、流れが滞るところが澱んでいくように自然の原理が器全体で表現されているかのようですね。
粉引の器に共通する特徴は、素地である粘土、その上の白い化粧土、仕上げの釉薬というふうに三層構造になっているところです。下の写真で素地が剥き出しになっている部分が光を照り返しているのは、表面に透明な釉薬でコーティングされているからです。ちなみに粉引の化粧土が欠けたりヒビ割れたりしやすいのは、焼き上がり時の素地と化粧土の収縮率の違いからきているそうです。
自宅に持ち帰ってからというもの、朝のコーヒーでヘビロテしております。気に入った器がたくさんあると、それだけで今日はどれにしようかと選ぶ楽しみが増えますね。ただこのカップが一番映えるのはお水を注いだ時なのかもしれません。美しいビードロが隠れてしまうのはもったいないので。そこが悩みどころですね。
土の温かみとスタイリッシュなフォルムが調和した中鉢
もう一つはこちらの非常に端正な印象の深皿です。先ほどのマグカップが天真爛漫な自然児だとすると、洗練された都会人って感じでしょうか。温かみのある土そのものの色味を生かしているのは同様なのですが、装飾を廃した中に寸分の狂いもなく引かれた白いラインが特徴的です。手に取ると、光沢のある釉薬のようなツルツル感とは違う、人の肌に寄り添うような滑らかさがほんとに心地いい。
先ほど紹介した粉引の器は三層構造でしたが、こちらは底面まで一定のテクスチャーになっているので二層構造です。白い器に仕上げる方法には粉引も含めて様々あるそうで、この白が何に由来するのか私には分かりません。なので印象の話だけさせていただくと、この器の自然な光沢はとても気に入りました。釉薬の濃淡によって波紋状に広がる模様も素敵です。土色の部分はおそらく釉薬の施されていない焼締の状態なのですが、土の荒々しさがありつつもほどよい滑らかさがあります。魅力的な器には実際の食卓で使ってみることはもちろんですが、ただただ触れて楽しむという要素があるなと思います。
ひっくり返すと「峰」の文字が。陶磁器の底には通常、裏印といって窯元のサインがしてありますが、こういった粋な表現の仕方もあるのですね。確かに土そのものの素材感を残したそれは岩肌のようであり、白のラインと相まって雲海を突き破ってそびえる山のようにも見えます。
試しにかぼちゃのポタージュを装ってみました。購入した時から暖色系のスープが絶対映えるだろうと思っていましたが予想通りでした。
いかがでしたでしょうか。使うたびに旅の思い出を振り返ることができるので、器は旅行土産には最適だとあらためて思いました。またいい出会いがありましたらご紹介させていただきます。
器の知識などこちらの本を参考にしました
「やきものの教科書」,2020,誠文堂新光社
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